【読んだ】「苦労」は過大評価されている - 脱社畜ブログ

「苦労」は過大評価されている - 脱社畜ブログ
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/29/22465

(雑感)
・「苦労したおかげでいまがある」というのは本当によく見かける
 ・似たようなのが結構あるような
  ・貧乏があったおかげで
  ・苦しい下積み時代があったおかげで
 ・心理学的に考えると、自分の過去は皆肯定したいもの
  (自分がしてきたことは正しいと思いたい)なので、皆、苦労をなんとか
  ポジティブな方に意味づけするということは普通だろう
  ・問題は、そういう感情的なもの、主観的なもののバイアスに気づき、
   それを排除して、本当にその苦労は必要だったと考えられる人が少ないのではないか、ということだ。
  ・皆、自分と同じような経験をしてほしいという人情?
   しかしそれはビジネス社会(結果が求められる)では不適なのでは?
 ・特に社長の自伝とかで、よくみかける。日経新聞とかで。
・苦労に耐えられるやつとそうでないやつがいそう。
 ・本当に「苦労」でなくては、得られないものなのか?
  ・「苦労」しなくても、教育の方法や仕組みを変えれば得られるのではないか。
   ・もしそうであるならば、より多くの人間(苦労に耐えられない人間)の
    パフォーマンスを引き出してやることができるし、そうすることで組織の力の向上につながる。
・苦労=様々な試行錯誤を意味している?
 ・試行錯誤のなかで自分の頭で考える力が養われる?
  ・最初から答えを与えてしまうと、その考えが養われない。
   ・答えを与えたあとに、なぜその答えなのか、
    あらためて自分で考えさせれば十分なのではないか。
    ・その方がコストパフォーマンスずっと高いし、被教育者の心的にもいい。
・少なくとも、まったく同じ「苦労」とそこからの学びをさせる必要は無いのでは?
 ・その分を教育によって伝えることが可能
  ・極端にいうと、人類は色んな争いをして今現在のような状態にあるわけだけど、
   新しく生まれてきたやつらは、もう一度まっさらな状態から戦争して苦労して
   学びなおせと言っているようなものなんじゃないの。
   ・教育によって伝えた方がいいに決まってる
・教育が面倒だし、自分と同じ経験してほしい(人情)し、自分の過去の経験を自分で肯定したいし、
 そういうことから若い人にこういうこと言ってるだけのような気がする。
 ・「苦労」させる分の時間を「教育」によって短縮して、
  それによって浮いた時間を若い人たちが年配にわからない新しいことを
  見つけ出す時間に充てたほうがいいんじゃないかな。
・結局車輪の再開発に似てるんじゃないか。